私達は2回この世に生まれる。1回目は存在するため、2回目は生きるために。(ルソー)

そして、 ゴメン!言い忘れたけど 3回目は死を知るために、、、なんじゃないか?と思う。大人になになるとね。ルソーはこれを言った時幾つだった?いやそういう問題じゃなくてやっぱり燃えてたんだよね。生まれっぱなしで考えなし!行動なし!はダメだよって。やっぱりフランス人だし精神論じゃない。社会思想家だもんね!。
            
ワタシは、断食4日目。2日目は頭が痛くてだるくて、でも近くの小さな漁港に行った。ブリキのバケツの様な色をした空と海があった。綺麗だと思えた。技あり。帰りの坂はキツカッタ。砂漠で迷子になる心境、それでも大変に見えないように、普通に歩いてるふりをする。プライドがある。立ち話のオバちゃんたちを意識してる。3日目も纏い付かれるようにだるい。息をすると頭が痛くて、息を吐くとましになる感じ。それが3日目の昼過ぎたあたりから急にすーっと体が楽になった。楽になっただけで充分。そして今日4日目、起きてやっぱり元気じゃない。だけど体操をしたらまた急にすーっとなる.おなかも空かない。
大丈夫。300年前までひとが入らなかった、原始の景色といわれる場所に散歩に行く。一面 緑 緑 田んぼの緑 山の緑 緑 虫食いの葉までオリジナルのレース模様のようで 山中の葉っぱの一枚一枚まで見極めようと、意識が旅に出る。ワタシは自然の中におじゃましている小さな存在で、屈託のない大きな自由だ。。澄み通った喜びが、極めの細かい空気と一体となってどこまでも染み渡る。
そして夕方 施設に帰ると ついにその時がやってきた。ほぼ100時間ぶりの食べ物です。ウレシイなんてものではなく悲しかった。ボクサーでもないのにタオルを投げられたようで、、、。やっと頭痛がなくなったのに、やっと腰痛もましになったのに、やっと目も痛くなくなったのに。数々の断食反応乗り越えて、これからやっと本当の断食に入れるというのに、本能は、おかゆの蓋を開け、卓上のゴマまで振って、やっぱり食べた。野菜スープはとても甘かった。
やっと 両方とも一口ずつ残し、ささやかな無念表明。バカじゃないの?でもいいの。明日から一歩、また一歩、少しずつ食物が体の中に入って来る。あんなに夢見た、シュークリームやタマゴ豆腐が食べられる日も近い。だけど、黒アメを想像で、しゃぶっていた、あの歯がゆい時間がお名残惜しいんだよね。


 


2006年08月27日

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