もし君が人に愛されようと思うなら、まず君が愛さなければならない(セネカ)
残念ながら、愛にもテクニックが必要で、幾ら愛しても愛されない人もいる、その無器用さ故に・・・
君が綺麗だと言って、いいお友達ね、と返され、お友達じゃなくて付き合いたいと言って、考えてみる、と返され、仕方がなく君はデブだ、と言って気を引こうとしたが、二度と口をきいてもらえなかった。という人もいる。オカシくない?バカじゃん、と言われながら、彼は人々に愛されているが、バカにされてもいる。彼に幸せが訪れることを願ってもいるが、その不幸せぶり故に愛されているとも言える。
この格言の失礼なところは、この格言が愛を理解している人にしか通じないところだ。愛する人を導き、愛する人が成長することを心の底から助け、決して諦めず理解することに努める。それ故に自分の人生の殆どのエネルギーを消耗することも厭わず、しかし決して消耗しきらないほど強くなければならない。・・・なんてことを覚悟し、相手が自分を受け入れてくれないことを知った時には気持ちよく手放し運命を受け入れ、彼女、あるいは彼の幸せを遠くから願い、祈り、時を待ち、自分の出来ることなら出来うる限り力を貸す。結構大変でしょ?そういう人にしかストア派哲学の一人であるセネカのマニュアルが活用されないのなら、もういいよ、と思う人は100人に99人は居るはずだ。でも残った一人、こんなにも愛にストイックになれる人だけが愛を手に入れられるという理屈は本当に排他的なんだよね。こういう気難しい流派って好きだけど。
狭き門より入れ、っていうのもキリスト教の天国入門マニュアルにあるんだけど、同じことかな?
でも、この格言を用いたセネカは多分愚かな残りの99人を愛していなかったんだろうし、てことは彼もあんまり人に愛されなかったってことかなぁ?あるいは、当時のギリシャは知性も人格も高い人ばかりでこの考え方がメジャーだったのだろうか。だとしたらギリシャって凄いね。その頃、私の祖先である日本人は穴の中に居たんだよ、穴の中に・・・。今2006年、まだ穴の中に居る人っているよね?
« 女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。男に欠点が多ければ女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ(ワイルド) | ブログトップ | 人間は犬に似ている。遠くて他の犬が吠えているのを聞いて、自分も吠える(ヴォルテール) »



