人間は、考えることが少ないほど余計に喋る(モンテスキュー)

モンテスキューって社会思想化か何かなんだよね。絶対、受験に出る人なんだよね。絶対、覚えておかないといけない人なんだよね。三権分立を作った人なんだよね。
出演した”おしゃれイズム”という番組の放送を見た。私は喋っていた。収録のときも喋っていたが、放送の時にはもっと喋っているように見えた。なぜならば、収録のときは和やかにホストサイドと盛り上がっていたはずが、放送の時には編集のせいで私一人の発言に集中している。第一、私は数十年前にかっちゃんに”ジッパー上げて”なんて言った覚えは無い。Yさんの友達の和田さんから聞いた情報という事だったが、Yさんとは吉田君に違いない。つまり、かっちゃんだ。おしゃれイズムでは私の事を妄想系といったが、Yさんも妄想系なんだろうか。まぁ、でも話がしゅんとしてもいけないと思い、現場では乗っておいた。後で編集で切って貰おうとも思ってたし・・・それが知らなかったんだけど、最近は出演サイドからのチェックは全局許されてないとか。何で~っ?オウムの事件以来、個人情報保護法(?)によって事前に確かめたり出来なくなったんだって。でも、その個人情報って私の個人情報なんだよ。”パンツのジッパー上げて”なんて、誰の個人情報なんだよ。と言っても、もう遅く、私の個人情報は11月5日、全国にばら撒かれてしまった。
司法、行政、立法によって殆んどの現代国家は成立しているのだから、モンテスキューは確かに偉大なんだけど(本人的に満足しているかどうかは別として)、私個人としてはこの三権分立を自分の中にどう取り込むか、ということになるとはっきり言ってどうしていいか分からない。考えてたって喋る。だけど、よく知らないで余計に喋ると、考えることが少ないほど余計に喋る!って言われちゃうのかも、まったく。

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消防署の前で散歩中にあったキュータと


2006年11月05日

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