人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである(ドストエフスキー)

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人は私を幸福だという。人は私を幸福ボケしているという。人は私を不幸そうだという。人は私を不幸でなければ許さないという。幸も不幸も、人生のデコレーションにすぎないんじゃないのかなあ?と考えてしまう私は、人並みに不幸なんです、本当は。不幸そのもの!に見えないのは、単に雑じゃないから。不幸を垂れ流しにする蛇口を開きっぱなしにしてないだけ。結構人生雑な人が溢れかえっていて、不幸の蛇口からスプリンクラーのように不幸を撒き散らす。不幸な芝生が隣の家の芝生よりもっともっと不幸の色を濃くして、その隣の庭まで浸潤していく。人間はこの芝生のように、不幸の水で喉を潤すのが好きなのだろう、基本的には。

幸福と不幸、光と影、人生を振り返る年頃の男と女が四つの愛の物語を繰り広げる!2007年の2月、私が演じる二度目の舞台(プロとして)・・・なぜなら子供のときに浦島太郎の役をやった!・・・し、ピノキオのヒヨコの役もやった!・・・。本当はもう今プレッシャーでいっぱいなんだよね、さすがの私も。今日はその舞台の「恋のカーニヴァル」のポスター撮りでした。正直いって話は凄く面白いんだけど、約二時間、本一冊分、殆ど相手役の風間杜夫さんと喋りっぱなんだよ。メイク室を訪れた演出家の星田さんと話したら、いかにこのドラマを解釈するかではなく、解釈を超えて作品そのものがエンターテイメントしていくという舞台にしたい。と、にこやかに語った。格好いい!コワーイ!えー、そんなんじゃ相当に実力ないとねぇ。私はそんなことは言わず、「だったら稽古の時にはもう台詞が入ってないと、ですか?」と問うてみた。すると、演出家は「よくわかってるねぇ」と一段と笑顔を増してうなずいた。「それでどうやって覚えるんですか?」と無邪気さいっぱいでなんとか尋ねると、「暗記ですよ」と彼女は今度は妙に低い声でドスを利かせた、ように聞こえた。ははは、オーマイゴッド。

ポスターはテーブルの前にタキシードとドレスで男と女が二人、物思わしげに座るという構図だった。私は今度は何気に風間さんに聞いてみた。三度目の共演なんだし、映画「異人たちとの夏」では息子だったんだし、テレ朝スペシャルドラマ「田中絹代の生涯」では溝口健二監督役で恋人だったんだし、いいんじゃないの?それぐらい聞いても、という甘えもあった。

秋 「ねぇ、台詞ってどうやって覚えるの?」
風 「え、だって今までだって覚えてきたでしょ?」
秋 「え、だって今まで覚えるほどの台詞なんて無かったもん。今度、喋りっぱなし
    なんだよ?凄く長いんだよ、どうするの?」
風 「一人でやってください。」
秋 「・・・・・・・・」

   なんだか不幸せな面持ちで
秋 「私は幸せボケしているのであろうか?」 (ナレーション)


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2006年11月07日

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