自分こそ正しい、という考えが、あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。これほどばかげていて根拠のない考えはない(J・G・ホーランド)

子供の頃はどんなに自分が正しいかと親に訴える。親は、これが正しいのだからこのようにしなさいと子供に押し付ける。思春期になると正しいことなんかは無いのだ、とそれが正しいことでもあるように、正しいことなんか無いという正しさを信じて行動する。歳をとると私の人生がどんなに正しかったかと、思い出を語りだす。親も子供も友達も社会も個人も国対国も自分こそ正しいと、人の数だけ国の数だけ主義の数だけ正しさを言い張って大騒ぎだ。正しさを認めてくれないといって自殺する人までいる。正しい理由だと信じて裏づけの為に殺しあう。周りの正しさを認めれば押しやられる。黙っていればいいようにされる。正義は誰によって決められるのだろうか。正義は何によって成立するのだろうか。
宗教によれば人間は未熟だという。神は絶対だという。あやふやな人間の中であやふやに決定づけられた正義が時の流れの中で確立する。正義も時によって変わる。私たちは進歩したくないのだろうか。成長したくないのだろうか。もし、「だって正しいんだもん」という言い訳をやめれば自分が正しく見えるのか、正しさとは人が言葉を発っしだした歴史の中でどのような役目を担ってきたのだろう。もしかすれば諸刃の刃。悪魔という言葉と背中合わせなのかも知れない。もしかすればエゴイズムの強力な擁護者なのか。
自分こそ正しい、というエゴとエゴのぶつかり合いのるつぼ、という世界の中でうんざりしながら生きるのも神の御心か。J・G・ホーランドに会って聞いてみたい。お願いだから私の意見こそ正しいと言わないで欲しい、ホント。


2006年12月21日

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