もっと人生を楽しめるときがいつか訪れるだろう。その時をあなたは心待ちにしなさい(ジョン・キーツ)
そう考えなければ生きられなかったこの1年は、私は不幸だったのだろうか。そのディティールについては自分史でも出版しなければ語りたくもないが・・・・。
人生に一度しか起こらない事が数々起こった。そのうちの一つがフランソワーズの背骨骨折事件。背骨だけではない、肋骨もだった、一本ですんだけど。全身挫傷、腹腔が破けて漏れ出してきた、って事もあったけ。犬は毛むくじゃらなのにどんどん顔色が悪くなっていくというのを初めて見た。血圧がどんどん下がるというのも初めて知った。5回も手術を受けさせた。2ヶ月も入院させた。今リハビリ中だけど、ウンコとおしっこを毎日搾ってあげる日々だ。健気なもので始末の後「さすがお兄ちゃんです、よく出来ました」といって、おやつを上げると大喜びしている。確かに確かにこの苦しい日々が、小さな命に向き合うという大事な時間を授かったと思えば、語弊があるかもしれないが確かに人生を楽しんでいるともいえるだろう。という事はこの先に何があるのだろう。もっと人生を楽しめる時?が、いつか訪れるだろう!?。おおコワイ!!。
さすがの私も束の間の平和を望む年の暮れです。まったく知らない人には言っておいてあげたい。歳を重ねるにつれ、我慢することだらけ。僅かのプライドと知性が苦労をエッセンスに変え、充実した人生という香水を作り出す。外から見れば素敵な大人。出来なければ只のくさいオヤジ。私もロンドンを訪れた際、ハムステッドヒースのジョン・キーツの家を訪れたことがある。入館時間を過ぎていて、あーここか・・と思って帰った。25歳で死んだという事実は知らなかった。この格言を読むだけでも、なぜ早く召されたのか分かろうというもの。ここに神の言葉がある。さすが詩人だ。
« 自分こそ正しい、という考えが、あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。これほどばかげていて根拠のない考えはない(J・G・ホーランド) | ブログトップ | われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから(アラン) »



