最初は人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる(ジョン・ドライデン)

やってきました2008年。生きて迎えられた2008年。日本の中の誰よりも早く(バンバンババン)、本当は時差のある沖縄で、リゾートホテルの上げる除夜の花火の音を聞きながら迎えました、(バババン)。結構花火は長く続いた。(ババン、バーン)
私は沖縄は石川、山城村の秘密の隠れ家で(何処が隠れ家だ、ワイドショーで何度も報道されてしまったじゃないか)2007年から2008年の年の瀬をデカルトを読みながら過ごすことに決めたんですよ。大事なことは2008年1月1日0時00分に本に向かっていることだった。
そしてその日その時、日本全土は異常な大寒波で、もう寒くて寒くて寒くて、しかも沖縄は夏ユースなもんだから、部屋に2台付いてるACは冷暖房一体型じゃなくて、何度リモコンを見ても”ドライ”、”送風”、”クーラー”の三種類しか切り替えしかないタイプだった。私は昭和の小さな駅の切符切りの駅員さんみたいに、足元用の小さな電熱ストーブで暖を取り、家の中なのに、ロケのときの出番待ちみたいにパーカーの上からLサイズのフリースを羽織って、かじかむ手でボールペンを握り締め、机に向かっていたんですよ。おおカッコいい、と自分自身にウットリしながら。これがガリ勉君の密かな恍惚感だったのか。これは良いもの知ったわい、とか色々感じるものはあったけど、デカルトはデフェカルト(オヤジギャグのつもり。デフェカルト、わかる?)。とってもとっても理屈っぽくて面倒くさい。しかも、本の裏表紙に「初めて読むのに最適な哲学書」と書いてある。ホント?ですか?つまり何が言いたいの?にはたどり着けるんだけど、つまり、「つまり何が言いたいの」に行き着くまでが論旨な訳で、そこが理解出来なければいけないわけで、訳の分らない哲学用語につまずき、参考にするはずの”デカルト論集”は専門的でもっと面倒くさくて、化学方程式かと思っちゃう。偉い先生達が書いてるんだけど、一言で言えば「なんだこりゃぁっ!!」。大学院入ってからの冬休みのまとめのつもりが、真冬の発狂になっちまうだ。だけど決めたことはやる。それが私の数少ない良い所のひとつでもある。本当はね。暖かい沖縄で、硬直した筋肉を緩め、本を読んだりノートをまとめたりするつもりだったんだがなぁ。
0時00分にバタバタしたくないので、3時間前に年賀メールは出しておいた。準備万端だったが、フライングですよ、というありがたい返信メールを受け取った。なんでメリークリスマス&ハッピーニューイヤーは12月24日に受け取ってもおかしくなくて、何故年賀状や年賀メールは3時間前だとフライングなんだ。よくわからんぞ。めでたいんだから、いいじゃないか。
とにかく今年の年末年始、私がしたかったことは果たした。人が習慣を作るなら作ってやろうじゃないか。震えながら勉強するのが素敵ならやってやろうじゃないか。
ハッピーニューイヤー!習慣が人を作ってくれるのならば、これしきの努力、なんちゃない。習慣でデカルトもすっきりと分るようになるかもしれない。でも、歯を磨くのが習慣ならば、習慣が歯を作ってくれるのだろうか。
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