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      <title>秋吉久美子 -Kakugen- オフィシャルブログ</title>
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      <description>秋吉久美子のブログです。秋吉久美子の公式ページ。本人からのメッセージ、プロフィール、出演作品リスト、画像、最新情報、ブログ、絵本。</description>
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      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>そうあるべきことは、やがてそうなるだろう（アイスキュロス）</title>
         <description><![CDATA[<em>アイスキュロス（Αισχύλος, Aischylos、紀元前525年 - 紀元前456年）は、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりでアッティカ悲劇の確立者。ディオニュソスの祭典で開催された劇大会で13回優勝した。代表作はオレスティア三部作。

また、彼はそれまでの悲劇が一人の俳優とコロスの掛け合いで進めていたのに対して、俳優を二人とすることを行った。

アテナイ郊外のエレウシスで、貴族階級の子として生まれた。マラトンの戦い、サラミスの海戦に従軍した。サラミスの海戦の様子は自作『ペルシア人』にて描かれている。

死因は、カメを上空から岩に落として割って食べるワシに、頭を岩と間違えられてカメを落とされて死んだと言われている。
(wikipedia:アイスキュロスより引用　http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9）</em>

最近、新聞でも批判されているwikipediaだけど、あまりにも面白かったので載せてしまった。アイスキュロスったら、本当に、そうあるべきことは、やがてそうなったんだね。あー、私もいつかカメが天から降ってきて死ぬのだろうか。私の頭は岩のように固いのだろうか。私の頭は岩のように賢いのだろうか。

久々の格言ブログです。もうすぐ夏休み、夏休みといえば期末試験。大学院といえばレポート提出ラッシュ。今期は思いのままに科目を取るのではなく、修士論文の為に肉付けをしようと文学部の東洋哲学や神道の方まで遠出をし、かたや行政用語満載、厳しいと知られる片木教授の授業も取ってしまった。勉強に明け暮れる、脳みその筋力不足を思い知らされる数ヶ月間でした。
そして私は・・・・終った！終った終ったおわったー。地方分権のレポートなんて、あまりのストレスゆえに終った瞬間に送信してしまい、あとから誤字脱字、字の大きさの不揃いに気が付いて慌てて「申し訳ありません」と書いて送りなおしたら、今度は添付するのを忘れてしまい、「また申し訳ありません」と書き、一人で夜中に抜け出られないドロドロの穴の中で真っ暗だった。それがつい一週間前。

やっぱり長いあいだ女優だったから事務能力に問題があるんだよね。３０年間、ワープロ打ってりゃ良かったよ。私はタイピストになるわけじゃないんだから、とサボってしまった。映画の「ミッション・イン・ポッシブル」でトム・クルーズが要所要所でスパイだからパソコン打ってるんだけど、こりゃ私もやんなきゃね、と、慌ててデジタルデビューしたけど、ちょっと遅かったかも。勉強は嫌じゃないんだけど、レポートも嫌じゃないんだけど、レポートを作成するオフィシャルワークがストレスなんだよね。タッチタイピング出来ないし・・・。自習室ではみんなカチャカチャカチャカチャ・・凄い勢いでレポートやら論文やらを打っているっつーのに・・・嗚呼

夏休み、早稲田の創始者、大隈重信候の佐賀の生家で講義を受け、唐津市に移動して地域事業の活性化のプロジェクトに参加することになっているんだけど、今から私一人、役立たずになったらどうしようと心配です。中学生のとき、家庭科の実習でじゃがいもの皮を剥かされたり、お皿を洗わされていたときのことが、ふと頭をよぎる。
生きている限り、生きることには限りが無い。大学院に居る限り、勉強することに限りが無い。
頭よ、良くなれ！。タイプよ、早くなれ！。
そうじゃなかったら、空からカメでも振ってきて、頭が割れちゃったほうがマシなんじゃないか～と思える今日この頃です。以上、近況。あいかわらず余裕なし。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 19 Jul 2008 22:43:23 +0900</pubDate>
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         <title>あなたがなっていたであろう人になるのに、遅すぎることはない（ジョージ・エリオット）</title>
         <description><![CDATA[まあ、そりゃそうなんだけど、ね。私は何処に向かっているのでしょう、と考える今日この頃。舞台でも浅丘ルリ子さんが言ってたけどね、おっと違う、役名：セリーヌでした。「問題はこれからどうやって生きていくかということなのよ」。そして彼女は昔取った杵柄、義賊を再スタートすることに決めるわけだけども・・・。原点をどこに置くかによって、あなたがなっていたであろう人になるんでしょうねぇ。例えば、バスの車掌さんとか、保育園の保母さんとか、例えば女優とか。
私は何に心を動かされたのだろうか。辿っていくと、小学生の頃に読んだ「十五少年漂流記」とか、「トムソーヤの冒険」とか、「ロビンフッド」とか、「二都物語」とか、「レ・ミゼラブル」とか「小公子」とか・・・じゃあどこに原点があるのかといえば結構、「岩窟王」には関心した。そういう意味では今でも既に、あなたがなっていたであろう人になろうとガンバっている。「レ・ミゼラブル」のジャン・バル・ジャンには関心しなかった。同情もしなかった。バカだと思った。なんでパンぐらいで捕まるのか。おなかが空いていて走れなかったのか？盗む方も盗む方なら、裁く方も裁く方だ、と子供心にイライラした覚えがある。「岩窟王」の方は読んだ瞬間から<strong>”岩窟王”</strong>になってしまった。それが今日まで続いている。岩窟王に憑依されたのかもしれない。あれから４０年以上経っているのに、いったい何に復讐するのか、、、理不尽、矛盾、うまくやってる偽モノ臭いことに復讐すべく、岩窟王は生きてきた。そして岩窟王は今、勉強している、大学院で。何かを解明するべく、、、？
公共経営研究科に在籍中の秋吉さんは、憲法学者の石田教授に「はい、そこの平和主義者。この問題をどう思いますか？」と、授業中に聞かれ、「平和主義は私たち世代の共通概念です」と答えたりもする。第九条にしたって、死ぬ気で守って死んじゃってもねぇ、とも思うし、死ぬ気で守って人類の規範になるのもいいんじゃないの、とも思うし・・・これ素直な意見です。だけど、大学院のクラスの中だけじゃなくて、セーヌ川でなくても目黒川あたりのカフェで新聞読み比べながら、仲間とこんな感じの事を話すの、いいと思うんだよね（ネットでも検索出来るけど、紙面の取り方とか構成の仕方とか分んないよね、結構）。戦時中と違って憲兵もいないんだし、正に言論の自由は守られてるんだし、ドシドシ行こうよドシドシ。あれ親父臭い？
なんか後ろからいきなり刺したりする三面記事の話に怯えるばかりでは文化は培われないと思う。知らないうちに法律も変えられちゃうかもしれないし。お洒落も思想や文化を伴わないとね。人間らしくないよね。毎年変わるファッションと追いかけっこしてても金と現実がついてくる訳じゃなし。ま、頭に入れておいて・・・くらいの余裕でいきたいね。お洒落と政治は反比例しない。ただ、今は分離しているだけだ。私の愛犬、フランソワーズだって頭は良いし、忍耐強いし、勇気はあるし、だけどヘアスタイルはピンクのモヒカンですよ・・・おしゃれーッ！
というわけで、いろいろ今日は言いましたけど明日からショッピングウィーク、前期に何を取るか決める期間です。とりあえず、火曜日に５時限入れることに決めました。９０分×５はキツイです。しかも風邪もひいています。
岩窟王　ガンバ！]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2008/04/post_39.html</link>
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         <pubDate>Mon, 07 Apr 2008 20:20:46 +0900</pubDate>
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         <title>行動力のある者のように考え、思考力のある者の様に行動せよ（ベルクソン）</title>
         <description><![CDATA[　<img alt="koikome01.jpg" src="http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/images/koikome01.jpg" width="400" height="198" />

これが３回目の舞台なんですよ。卒業のミセス・ロビンソン。恋のカーニヴァルの四役シャルロットさん、ベティちゃん、イレーヌ君、ジョルジェット様。そしてやってきました”恋はコメディー”、浅丘ルリ子さんのセリーヌ、渡辺えりのアンナ、私の役はいい歳してまだまだ小悪魔のナターシャ！ついにやってきたかナターシャ、と感慨ひとしお。子供の頃から本が大好きでクリスマスといえば枕元にプレゼントとして置いてあるはずの本をまさぐり、サンタさんが来たことを確かめてから寝付く少女時代をおくってきた。ナターシャといえばヒロイン中のヒロインではありませんか。戦争と平和、カラマーゾフの兄弟、車輪の下を読まなければ生きる意味が無いとい言われるほどの三大名作の中の、戦争と平和のナターシャ。それがたとえコメディーのナターシャだってなんだって、私はナターシャと言われれば受けるんですよ。
でもコメディーって難しいね。いやーびっくりした。テニスのラリーやってるほどのヒマはない。ピンポン並みのスピードで２時間セリフを打ちっぱなし。人間だからヘマもしますよ。でも、はずせばお客にバレる。まず自分がドギマギしてそれが相手に移り、誰かがドジると自分のせいじゃないかと自責の念にかられ、ナイスカバーして得意になってるつもりがリズムが壊れて、いつもと違うと思ってるうちに今度は自分がドジる。もう最悪だ最悪だ・・・と思っていても決して仕切り直しが利かない。走り高跳びを限りなく繰り返してゴールを目指すマラソンみたい。しかも４６回公演！！思えば私は女優をやることによって数々のハンディーをクリアしてきた。
例えば、私は中学校ではトイレに１度も行かないほど自意識過剰だった。トイレの前に誰かが立っていると思うだけでおしっこが出なかった。その壁を女優になることによって打ち破った。これが自由奔放と呼ばれる私の本性である。小学校のときには授業中、頭が痛くなったり単純に疲れたりするとすぐ保健室に行った。保健室こそ学校の中の自分の部屋だと思っていた。もしかすると集中力が有り過ぎたのかもしれない。頭の良い子と呼ばれた。同時に忍耐力があるとは誰も思っていなかった。それが３０年以上女優を続けてきている。そして今度は４６回公演！！！はっきり言ってうんざりする。でもこのうんざりするほどの長さが、集中力を維持する忍耐力を与え、何かを乗り越えさせてくれてるのだと思う。立派だねぇ。（言うことだけ）
それはともかくとして、同じ役を、同じセリフを繰り返す。そして（これお世辞じゃないよ）大天才の浅丘ルリ子さんや渡辺えりちゃん、ミュージカルの俊英、石井一孝君や、命の限り走ることを知っている若干２４歳の風間俊介君と約三ヶ月間、共にこのプロジェクトをやり続けていくのは、養成所や演劇学校を知らない私にとって、女優として素晴らしい体験だ。お芝居を続けながら人生を知っていく。人類を分っていく。これは女優の醍醐味でしょう。
さてさて、私は「それはもちろん」と言わなければいけないセリフを「さすがよくご存知」、２８分後のセリフを言ってしまった。が、「さすがよくご存知・・・（みんな無言）・・・なのは私だった」とくっつけてめでたく難を逃れました。あるいは「ギョームを私にくだされば、翡翠はあなたに差し上げるわ」を何をとち狂ったか「翡翠を私に下されば、ギョームはあなたに差し上げるわ」と言ってしまい・・・（みんな無言）・・・これでは後半のストーリが繋がらないと思って「でも・・・ギョームを私にくだされば、翡翠はあなたに差し上げるわ。それが私の為なのよ」と偉そうにまとめた。その間中、私を囲む浅丘さんのゴージャスなお顔や、石井君のダイナミックなお顔や、えりちゃんの突拍子も無いお顔が、凍りつき固まっていた。あんな怖い思いをしたのは、フィリピンのある村で、乱暴なお兄さんにファックユーと言われ、お前こそファックユーと言って追っかけられたとき以来だった。しかもそのときは観光用に用意したワゴンの運転手がどっかでお茶していて、乗って逃げるつもりの車のドアが開かなかった。あの時は映画みたいだったなぁ。でも今度はお芝居の最中だし、本当に本当にもっとコワカッタ。

行動力のある者のように考え、思考力のある者の様に行動せよ。
毎日やってますってば、当分ね。えーっと３月２６日までだっけ。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2008/03/post_38.html</link>
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         <pubDate>Sat, 08 Mar 2008 21:20:42 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>最初は人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる（ジョン・ドライデン）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="door.jpg" src="http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/images/door.jpg" width="400" height="567" />

やってきました２００８年。生きて迎えられた２００８年。日本の中の誰よりも早く（バンバンババン）、本当は時差のある沖縄で、リゾートホテルの上げる除夜の花火の音を聞きながら迎えました、（バババン）。結構花火は長く続いた。（ババン、バーン）
私は沖縄は石川、山城村の秘密の隠れ家で（何処が隠れ家だ、ワイドショーで何度も報道されてしまったじゃないか）２００７年から２００８年の年の瀬をデカルトを読みながら過ごすことに決めたんですよ。大事なことは２００８年１月１日０時００分に本に向かっていることだった。
そしてその日その時、日本全土は異常な大寒波で、もう寒くて寒くて寒くて、しかも沖縄は夏ユースなもんだから、部屋に２台付いてるACは冷暖房一体型じゃなくて、何度リモコンを見ても”ドライ”、”送風”、”クーラー”の三種類しか切り替えしかないタイプだった。私は昭和の小さな駅の切符切りの駅員さんみたいに、足元用の小さな電熱ストーブで暖を取り、家の中なのに、ロケのときの出番待ちみたいにパーカーの上からLサイズのフリースを羽織って、かじかむ手でボールペンを握り締め、机に向かっていたんですよ。おおカッコいい、と自分自身にウットリしながら。これがガリ勉君の密かな恍惚感だったのか。これは良いもの知ったわい、とか色々感じるものはあったけど、デカルトはデフェカルト（オヤジギャグのつもり。デフェカルト、わかる？）。とってもとっても理屈っぽくて面倒くさい。しかも、本の裏表紙に「初めて読むのに最適な哲学書」と書いてある。ホント？ですか？つまり何が言いたいの？にはたどり着けるんだけど、つまり、「つまり何が言いたいの」に行き着くまでが論旨な訳で、そこが理解出来なければいけないわけで、訳の分らない哲学用語につまずき、参考にするはずの”デカルト論集”は専門的でもっと面倒くさくて、化学方程式かと思っちゃう。偉い先生達が書いてるんだけど、一言で言えば「なんだこりゃぁっ！！」。大学院入ってからの冬休みのまとめのつもりが、真冬の発狂になっちまうだ。だけど決めたことはやる。それが私の数少ない良い所のひとつでもある。本当はね。暖かい沖縄で、硬直した筋肉を緩め、本を読んだりノートをまとめたりするつもりだったんだがなぁ。
０時００分にバタバタしたくないので、３時間前に年賀メールは出しておいた。準備万端だったが、フライングですよ、というありがたい返信メールを受け取った。なんでメリークリスマス＆ハッピーニューイヤーは１２月２４日に受け取ってもおかしくなくて、何故年賀状や年賀メールは３時間前だとフライングなんだ。よくわからんぞ。めでたいんだから、いいじゃないか。
とにかく今年の年末年始、私がしたかったことは果たした。人が習慣を作るなら作ってやろうじゃないか。震えながら勉強するのが素敵ならやってやろうじゃないか。
ハッピーニューイヤー！習慣が人を作ってくれるのならば、これしきの努力、なんちゃない。習慣でデカルトもすっきりと分るようになるかもしれない。でも、歯を磨くのが習慣ならば、習慣が歯を作ってくれるのだろうか。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2008/01/post_37.html</link>
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         <pubDate>Sat, 05 Jan 2008 22:48:06 +0900</pubDate>
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         <title>一つのドアが閉まると、別のドアが開く、しかし私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので私たちのために新しいドアがすでに開いていることに気づかない。（グラ</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4899980809?ie=UTF8&amp;tag=sureclix-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4899980809" target="_blank"><img src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/dress.jpg" alt="dress.jpg" width="380" height="561" border="0" /></a>

ひっくり返ってひっくり返してドアを開けて閉じてまた開いて今年も迎える年の暮れ。なんだかなぁ、そんなにスッキリしてないんだよね。
今年やったことといえば、偉大なるステージアクター風間杜夫氏との共演。４幕４役という本人は笑えないコメディー（正直、大変過ぎて死ぬかと思った。今だから言うけど）正直死んだ。あとオーバーフォーティーズという部門で美脚大賞を貰いましたよ。それ以来、わたしは美脚ということになっています。ホントは私の場合は美脚じゃなくて愛嬌足。まあそれで一生懸命歩いてきたんだねっていう賞だったんだって理解してる。でも、おかげで愛嬌足を維持する為に、ジムもさぼれなくなり、ヨガも続いているという結果です。やっぱり良かったんじゃん。でも、もっと良かったのはオーバーフォーティーズというこの宝物のような表現！ずっと探していたんです。中年、熟年、元青年、他に言い方は無いのかと・・・。私は正直過ぎた。自分の正直な見解の中で言葉を捜していた。そうだ、４０代まで巻き込んでしまえばこっちのもんだと、こんな発想は無かった。これから長生きするとして私が９２歳になってもオーバーフォーティーズですからねぇ、ハハハ。もう決めた、誰が何と言っても引っ込めないよ、オーヴァーフォーティーズ秋吉！
まあこんなのがあり、スイカと納豆を食べながら論文を書く、長い長い暑い暑い夏を超え、早稲田の大学院生として秋には入社、じゃなくて入学。高校生の時以来、久しぶりに学生になった。でもそれって終わりじゃないからね、始まりなんだよね。はっきり言って大学は楽しい。知ることは嬉しい。記憶するのはやりがいがある。そこには知の興奮がある。世界を知ること、社会を知ること、人生を知ること、自分を知ることは矛盾しない。女優が大学に行って何が悪い。何も悪くないよ。だって面白いんだもん。
そしてそして、１０日前に本を出版した。青山出版の高橋という辛抱強い編集の女が居て、１年前に私のこのブログを見てくれて「こんな感じでエッセイ書けませんかね？」というオファーをしてくれたのが発端だった。渋谷はドンキの前で待ち合わせたあの日のことを思い出す。このエッセイも長い長い暑い暑い夏の、わんこそばのように次から次へと書かなければならなかった論文嵐の、たまに箸休めにつまむ”板わさ”のように血と涙、いや違う、スイカと納豆と豆腐で書かれたものだ。
話は変わるけどこんなにスイカを食べた夏はなかった。今年の夏は暑かった。
その本は「ドレスの下に」というタイトルで何を隠そう、ネーミングしたのは・・高橋・・・なんです。自分の中に無いセンスなので思わず乗った。「良いんじゃないの？思わせぶりで・・・」が私の感想でした。私がネーミングするとしたら・・アルファベットにして”Ge”とかにしちゃうなきっと。「GETのGeだよ、シャレてるね」とか言っちゃって。
今回辛抱強く高橋さんと１年以上付き合って思ったんだけど（お互い様）、本ていうのは編集者と作家のコラボレーションなんだよね。まあ力は五分と五分。違いは編集者（高橋）はぺこぺこしてて、作家（私）は威張っている。だけど出来てしまえば、もう作家が手を出せることは何もなくなる。そして気がつく。下手に出ている社長が平のサラリーマンをこき使っていたのかもしれないと・・・恐ろしや、高橋祐子。三重から出てきて青山出版で幅を利かせているだけのことはある。夫も若くて結構いい男。デザイナーだと・・・。
高橋さんのおっしゃるように書いて書いて書きましたよ。美について、恋について、歳について、金について、仕事について・・・その上、格言を絡めてオチをつけなきゃいけないんだから・・・自分の本なのに誰かにアタりたくなりました。本の基本の色についてもショッキングピンクだシャーベットピンクだ、暖色だ寒色だ、紙はもっと厚い方がいい、表紙の写真はこっちがいい、あっちがいい・・・全ては今や思い出です。作家は作家にとどまっていてはいけません。自分の本の営業マンとなり、テレ朝のワイドショーから日テレの「ラジかるっ」まで出演していやらしくない程度にほのめかし、雑誌の取材では今年話題になった脚と共に本を売った。おかげ様でいい評判です。ボディーブローが利いてるって。大騒ぎした表紙のシルバーと黄色のコンビも大成功。とっても趣味がいいって。
そうです、１つのドアが閉まると別のドアが開く、ひっきりなしに。
２００７年が終わるまでもう一ヶ月か・・・。
来年もよろしくね。（ちょっと早い？）

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4899980809?ie=UTF8&tag=sureclix-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4899980809" target="_blank">ドレスの下に</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=sureclix-22&l=as2&o=9&a=4899980809" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />]]></description>
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         <pubDate>Thu, 29 Nov 2007 20:31:44 +0900</pubDate>
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         <title>この世の、すべてのものは、泡沫にすぎない（ゲーテ）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="pp01.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/pp01.jpg" width="430" height="418" />


ペニンシュラ東京がオープン。２ヶ月ほど前に、長さ４０センチメートルほどの招待状を貰った。
Mｓ.Kumiko Akiyoshiと印刷風手書きの見事なレタリング。誰でも感動するよ。行ってみようか、という大きなモチベーションにはなった。
ペニンシュラ香港に約２０年前に泊まったことがある（おいおい、何年生きてるんだよ）。ここだけの話、友達のお兄さんがマネージャーでスイートルームに泊めてくれた。ヤッホー、と夜中に呼んでみるとこだまが返って来そうながらんとした大きな部屋だった。トイレ、クローゼット、リビング、寝室、と回廊のように繋がっていた。やんちゃにジーパンで出入りする私を温かな笑顔で迎え入れ、送り出す、さすがアジアの老舗、一流ホテルのスタッフ達であった。それだけにペニンシュラという名前は思い出深い。
アキコオガワのオリジナル着物袖のシルクのショートドレスで、グラマラス＆シックのドレスコードをクリア。
パーティーではシャンパンがふんだんに出て頃よいところでペニンシュラグループの会長とペニンシュラ東京の総支配人、そして彼の名前が付けられたレストランのシェフ、ピーターの挨拶があった。なんだかみんな、人間味があって、温かい人たちだなぁ、という感じがした。ピーターは結構緊張していて、死んだお母さんも喜んでくれると思う、と挨拶した。歳は私と同じぐらいなだけに、ジンときた。次から次へと運ばれる料理の目に映る美しさ。味のまばゆさ。素材の素晴らしさ。振舞われたワインの香り。パーティーは進んでいく。散々シャンパンを飲んだけど、気持ち悪くならなかったし、頭も痛くならなかった。疲れなかった。
泡沫の心地よさを完璧に与えてくれるのが一流の素晴らしさに違いない。（なんかレオンの記事みたいね）]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/09/post_35.html</link>
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         <pubDate>Sat, 01 Sep 2007 16:44:21 +0900</pubDate>
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         <title>決して、決して、決してやめてしまうな（チャーチル）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="070827_2000~0001.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/070827_2000~0001.jpg" width="430" height="146" />



半年間、世界陸上に向けて選手たちの人間性を紹介する番組のインタビュアーをやってきた。一回目のゲスト、末續選手は笑うと顎がカッと開いて、華やかな若武者という感じだった。日本人は短距離に弱いという固定概念を打ち破るべく、２００メートルに挑戦していくモンゴロイドDNA期待の星だ。
澤野選手は塵ひとつないスニーカーをスタジオに並べてくれた。陸上の選手は恐ろしく几帳面なのかも。０．０１×１０は０．１、みたいな世界だもんなぁ。棒高跳びだって１ｃｍ上げていくのは大変なわけだし・・・と筋肉を鍛え、尚且つミクロを見据えていく競技に関わる選手の特異性を感じさせてくれた。
毎回訪れる選手たちは芸能人ではないので、最初はみんな緊張している。だけど、こちらから興味を持って一生懸命聞き込んでいくとキラキラ光る瞳で自分達の世界を伸びやかに語りだす。どの選手も魅力的だった。インタビューに飽きるということはなかった。

そして、遂に世界陸上大阪大会が始まった。一度は訪ねたかった世界陸上。大会３日目の月曜日は日本期待の室伏のハンマー投げ、女子１００メートル決勝、そして早稲田大学の竹澤君が出場する１００００メートルの決勝。私はオリンピックも行った事がなく、陸上を観戦する為にスタジアムに訪れるのは始めてだった。もうびっくりした。テレビと違うのはあっちでもこっちでもやっているということ。それはドラマではなく実技だった。ハンマーがどこかのラインを超えるたびにウォーという声が上がるが、誰だか分からず大型スクリーンを見上げる。ああ、今のは室伏だったんだ、よかった８０メートル越えた。けどもうちょっとかな、と思う間もなく、女子の１００メートル決勝。ゴールラインのまん前の席に座っているのに誰が１位だったか分からない。観客はお互いにお互いの顔を見て誰だった誰だった、分からない分からないと大騒ぎ。結果写真判定でジャマイカのキャンベルが１位に決定した。いきなり隣の通路を越えてジャマイカ人たちが叫びながら押し寄せ、また隣の隣のブロックのジャマイカ人たちと合流して抱き合った。でも２位も同じ記録だからなぁ、とクールな私。こうなると１位、２位は関係ない。こういう気分も会場にいないとわからないのかも。結局、選手たちは記録を目指して走ったり飛んだり投げたりするんだけど、見てるほうとしては感情移入して興奮するというよりも、スタジアムにいる全ての選手を認めて受け入れる証人のような気分になってしまう。
竹澤君もホントによくやった。１００００メートル、トラック２５周をもくもくと走り抜ける姿勢は素晴らしかった。たまたま一緒に観戦することになった元マラソンランナーの増田明美さんと、初対面なのにいきなり気があって「よくやってる、よくやってる。本当によくやってる竹澤君」と二人で感嘆しながら見た。これがテレビだと、やっぱり首位争いには食い込めなかった、という結論だけを見てしまうのだろう。
この日の室伏選手は残念な結果に終わったが、私はこの１日をスタジアムで過ごせた幸運に満足した。この日はたまたま今回の日本人選手に蔓延する足がつったりなどのトラブルがなかった。もし、トラブルがあった日に観戦していたとしたら、どんな風に感じたのかは分からない。
決して、決して、やめなかったからこそスタジアムで記録を競うことが出来る選手たちである。スタジアムにいる全ての選手が決して、決してやめなかったからこそ、今この時、ここにいる。
まず競技の前に競技はあった。参加している全ての選手は既に十分に殊勲を立てている。
それなのに、足がつったり、転倒して運ばれるというのは、やめなかったのにやめなければいけないという状況だろう。
だけど、やはり家に帰ってきてテレビで次から次へと続く日本選手の不運を見てしまうとそうも言っていられない。どうしてもそこに注目してしまう。
誰が悪いんだ、どうしたらいいんだ。どうしたらいいんだろう？
（サカモリ君も、どうなっちゃってるんですかねぇ、と心配している）]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/08/post_34.html</link>
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         <pubDate>Thu, 30 Aug 2007 15:46:43 +0900</pubDate>
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         <title>賽は投げられた（シーザー）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="gs.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/gs.jpg" width="120" height="180" />

今年の夏は暑かったです。そして私はオフィシャルワークに没頭していたのさ。早稲田大学大学院の諸々の手続き、つまり２００００字の論文はすさまじかった。友人共々青くなった。家を建てるのと一緒でいきなりは書き出せない。土台が大事だよね。最初に髪を切った。勉強しやすいように。頭が良くなるように。それから、レヴィ・ストロースの”悲しき熱帯”を上下読んだ。現代最高の知性に触れておけば、大学院という”知の金字塔”も多少低く見えるかもしれないと思った。
起承転結、５０００×４＝２００００字なら、あら大丈夫！４００字詰め原稿用紙、約１２枚×４セットじゃないか。そして構成を決め、言いたい事を決め、説得のための説得の手段を、箇条書きしたテーマに合わせて、ネット、私の本棚、友人の本棚、千代田図書館の中の本棚からかき集め、始めて手がける”論文”というものを兵隊が進軍するように凄い勢いで仕上げた。あまりに凄い勢いだったので、字数を数え間違え２５０００字になってしまった。
論文は英語で言えばレポート。論文というと重く、レポートというと軽い。その論文が認定されると、今度は二者選択のエッセイが待っていた。エッセイというと軽く、作文というと子供っぽい。しかも２セット。入学する大学院が公共経営というだけあって、アカウンタビリティーや愛国心についての意見や考察を求められる。慌てふためいて、自分の考えを明確にする為に知人宅まで議論に出かけ、よし！私はきっとこういうことを考えている！と確かめたことをまた書き起こす。２０００字×２。それから二年間の大学院の研究スケジュールや概要で７０００字ぐらい・・・
今年の夏、私は全部で何字書いたんだ？３６０００字！わが人生、最高に字を書きました。そしてそして・・・
論文に疲れると、秋に出すことになっているブログの形態をとったエッセイ集の執筆。いま書いているこれみたいなもんなんだけど、格言にかこつけながら恋愛、ファッション、年齢、金についてのエッセイも７月中が締め切りだった。こっちはいい、締め切りを終わらせれば後は出版されるばかり。でも大学院の方はつまり、つまりだよ”入学おめでとう”ってのは、そこが終わりではなく、これからもそうやって３６０００字ぐらいへっちゃらで論文書きなさいよ、という警告と覚悟の確認ってことで、つまり、つまりだよ。立派なブレインアスリートになるんだよ、という励ましなんだよね。あぁ、賽は投げられた。９月から院生か。
でもちょっぴり疲れちゃったから、８月の前半はさぼっちゃってブログエッセイ本出す青山出版からがめてきた、ヒップホップ小説ばっかり読んでさぼっていた。今日あたりから研究テーマの本を読み出さないとね。９月から入学だし・・・。でもここだけの話、ヒップホップ小説って面白いよ。ブラザー達に囲まれてゲットーに居る気分になる。特にクワン著・「ギャングスタ」、お勧め。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/08/post_33.html</link>
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         <pubDate>Tue, 21 Aug 2007 18:12:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「明日死ぬように生きなさい、永遠に生きるように学びなさい」（マハトマ・ガンジー）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="f51.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f51.jpg" width="200" height="275" />　<img alt="f52.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f52.jpg" width="200" height="275" />



インドのカルカッタでベガー（物乞い）達に追っかけられた挙句、しっかり囲まれてしまったとき、私は叫んだものだった。
「私はガンジーでもマザーテレサでもない。ただの旅行者なんだ。アンタ達みんなに、いつもいつもお金を上げてたら旅行も続けられなくなる。日本にも帰れなくなる。今日はみんなおしまい、解散」。ベガーたちは笑って許してくれた。じゃあ、明日ねと言って帰っていった。そのガンジーの教えが今やっと私に生きてくるかもしれない。

本当は去年やろうと思った。知ってる人は知ってる。知らない人は知らない。去年、私は母を亡くした。疲労困憊、悲しみ満載。なんでもないように見せる辻褄あわせだけで、去年いっぱいを過ごした。そして大学院受験のことはもう無理かと思っていた。だけど、ひょんな事からまた教授と電話で喋るチャンスがあり「どうなりましたか？」と聞かれたので「もう来年まで無理ですよね」と聞き返すと、９月入学もあると知った。「大学院は９月入学もあるんですよ、あと２週間で論文を出せば間に合います」！！！・・・５月といえば、母より３年前に死んだ父の命日は５月２０日。これも因果と大集中して、２万５千字の論文を書き上げた。タイトルは「社会の成熟度による、社会定義と表現方法の関連性　-　日本における文化形式・一考察　-」。つまり、手をかけない刈り取りなんてないんだよ。しっかり耕しましょうっていうお話を書いたのよ。この論文が卒論として認められれば大学院受験資格が与えられる。あまりに大変過ぎて仕上がった後ホッチキスで止めて、「もうこれでいいや。通っても通らなくても」と自暴自棄にも似た虚脱感があった。目の下のクマは紅茶の染みみたいに濃くなっている。もう一生取れないかもしれない。
そして、論文は通った。が、やった！と思う間もなく、次は大学院に入るための試験と同じ意味のエッセイーをまた二つ書かなければならなかった。でも答案用紙じゃなくて、与えられた課題を果たしていくというこの論文システムの試験は、０から書き上げていくプロセスが、途方もないことに挑むようで、作品を仕上げると同じような喜びがあった。
そしてもう７月。大学院入学決定の公式発表があった。私はこれから、女優で大学院生です。哲学を学び、政治を学び、文化や芸術の活性化の為に研究生として奉仕していくのです。カッコイイ～！ふ～っと。
私もこれでやっとガンジーのお弟子さんの一人になれるのかな。ガンジーさん、待っててね]]></description>
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         <pubDate>Thu, 26 Jul 2007 18:28:18 +0900</pubDate>
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         <title>人生は、ケチな心配事ばかりしているには短すぎる（Ｃ・キングスリー）</title>
         <description>いや、人生は長くなる。
今、またもや第五次ヨガブームが私の中で巻き起こっている。３０年も前にヨガ教室を探すのはそれはとても大変だった。今ではヨガクラスといっているが、当時はヨガ道場といっていた、東京に幾つかしかなくて。ちょっと言わせて欲しいんだけど私って結構手をつけるのが早いんだよね。だから、まだ一般的じゃないうちに手をかけて、結構酷い目にあっている。
そのヨガ道場は、道場といっても青山の裏通りのマンションの２階に在って、狭い２ＤＫかなんかで、ふすまを取り外してあって、ヨガと関係あるのだろうか、足上げ腹筋をやらされた。先生は髪を一つに結んだ女の人だったけど（学生運動やってる女子大生みたいだった。あと、新興宗教の誰かみたいな・・・ありがち）、「”気”で引き上げるんだ！」と言ってやっと上げた足を手でボンと叩き落した。重さを感じなければ持ち上がる、とさえ言った。それが、私が始めてヨガを体験したときのことだった。壁にはわら半紙に「参加者募集。ヨガ合宿。早朝マラソン」と張ってあって、私を震え上がらせた。二度と行かなかった。
いまは空前のヨガブーム。スパでもジムでもヨガを手軽にやってくれる。あぁー助かった。でも、こうなってみると、やっぱりカジュアルなヨガはイヤになっちゃうんだよね。

友達が凄く良いヨガの先生がお教室開いているというので行ってみた。事務所みたいな感じの、しいて言うなら幼稚園の教室から椅子を退けた感じの部屋だった。そこで教えているヨガは（ここからはヨーガといいます）、アシュタンガ・ヨーガ (Ashtanga yoga)といって休む暇も無い、流れるように前の動きが次の動きの基礎となり、次の動きがその次の動きの準備となる。まるで、完璧なお茶の点前のように進んでいく。最初にトライアルした後の一週間は筋肉痛でアッチもコッチも痛くて不愉快だった。２回目からは筋肉痛がなくなった。しかも、重くてしょうがなかった身体は、畑から引っこ抜いたばかりの大根が干したかんぴょうに変わった様に軽く感じられてきた。三回目は二週間空けたけど、なんだか楽しくなってきた。今また、１週間空けている。時間が無いんだけど、身体は行きたいなぁと言っている。ヨーガをやっていると、人生が長くなる。呼吸が長くなる（ヨーガクラスの中だけだけど）。ヨーガの合掌をすると、これが不思議なことに自分の空間が広がる。ガンジス河にいる気分になる。星に手が届く気分になる。今度こそ、長続きして欲しいんだけどな。これってケチな心配事じゃないよね？</description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/05/post_31.html</link>
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         <pubDate>Sun, 20 May 2007 21:41:48 +0900</pubDate>
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         <title>人は望む通りのことを出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。（ロマン・ロラン）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="f44.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f44.jpg" width="400" height="270" />

アーグラがらベナレスまでは一等寝台がなかった。三階ベッドの寝台車で一番上だった。遠慮なんかしないでよじ登る。誰も気になんかしてない。またまたこんな感じだったかな、と思い出した。前にも乗った事がある。あの時は２月でとても寒かった。結構、カンフォタブルなんじゃないの？天井まで７０ｃｍぐらいで、座って本を読む、まではいかないけど、ベッドは思ったより心地よい。室内灯が第二次世界大戦の頃の白黒のヨーロッパ映画みたいにムードがあって、つまり心細い。コワーイんだよ。でもよく眠れた、よかった。
外が明るくなってきて、みんなが起きだした。梯子を伝って窓際の空いてる席に座ると、なんだか線路が多くなってきたような気がした。駅が近いってこと。
インド人はもの凄い荷物を持って旅行する。その訳が分かった。隣のボックスで、きっと親子なんだろうけど、老婦人がトランクの中から食パン一斤とジャムの瓶を取り出して座席でジャムパンを作りだした。だから荷物が多いんだね。そこまでしなくてもと思ったけど、サリーの婦人が列車で食パンにイチゴジャムを塗る姿は、とても優雅にも見えた。

アーグラのモーターリクシャーのドライバーがお勧めのゲストハウスに行ってみる事にした。駅から結構遠くて、しかも自転車の人力車だったので気の毒だった。彼らはとりあえず客が欲しいので、とにかく乗れ乗れと勧める。ホテルの名前も知らなかった。車とモーターリクシャーとロバと牛とが激流のようにぶつかり合う交差点を幾つも超え、あちこちで聞きながら３０分も掛かって着いた。
遠いわけだよ。ガートの中でも一番上流のアッスィーガートのそばだった。これは不思議だ。とりあえず宿を決め、いずれアッスィーガートに移るつもりだった。インドに居るといつも行きたい場所に運ばれる。ガンジス河に沿って上流から下流まで６０個以上あるガートの中で、しかもアッスィガートの周りはどちらかというと宿も少なく静かな場所だ。運良く、小さな部屋が一つ空いていた。明日になったらもっと良い部屋が空くという。部屋の交渉も会計も全て屋上のレストランでやる。まぁ、なんか食べて・・・。サワースープが美味しかった。

なぜかせわしく、とにかく日の暮れる前にガンジス河へと歩く。こっちだ、あっちだと言われ、狭い迷路のような石畳の道を行くと、「そこだよ」と小さな子供が最後の通りを教えてくれる。人が２人がすれ違える程の狭い道からいきなり急な階段が現われ、目の前にガンジス河が広がる。またもや、ガーン！この素晴らしさはなんだ。ヒマラヤに源流を成す底力か。大きな力にいきなり心臓だけでなく身体ごと鷲づかみされたようだ。
そのまま河沿いに降りて、昔泊まりたかった小さな美術館のようなホテルを探してみた。ヨーロッパ人に人気が有るらしく、いっぱいだった。隣の隣に言って見たら？と勧められたので素直に従う。いいんじゃないの。部屋が三つ、奥にマネージャー一家が住んでいる。ちょっとした民宿みたいな、多分普通の家をシャワールーム付けて貸すことにしたんじゃないの。しかもガンガービュー。部屋の窓からガンジス河が見える。レストランも何も無いけど、別にねぇ。どっか食べに行けばいいんだし。当分ここに住もう。泊まろうではなく、住もうという気になった。
インドの労働者クラスはビディという葉っぱで巻いたタバコを吸っている。インドの人は旅行者は金持ちだと思っているんで、私がそれを吸っているとバカじゃないかと笑っている。何言ってるんだ、私は先進国から来ているロハスなんだ。ビディはノンケミカルのオーガニックタバコ、身体に良いんだよ（そんなわけないか）。民宿の向かいに売店があって、BJというお兄ちゃんがコーラや水やキャンディーやトイレットペーパーを売っている。ビディは安いので旅行者向けじゃないのか最初は置いてなかったけど、仕入れることにしてくれた。
このビディってのが面白くて、外側がパーティーの時のクラッカーみたいな形をしていて、作った人の顔が印刷してある。職人によっては直ぐに消えちゃったり、程度の良し悪しがある。こいつのビディは良くない、このおじさんのビディはなかなか良い等と楽しめる。
１９日の朝は五時に起きて五時四十分にボートに乗り込む。日の出が六時だからその前にボートに乗りたかった。薄暗い空がオレンジに染まっていく。河には雲が掛かっていて、その雲の上からもっとオレンジの太陽が昇っていく。が、形が変だ。誰かに頭をかじられたみたい。知らなかったけど、日食だった。今日から聖なる一週間が始まるという噂はこのせいだったんだ。それはありがたい。でも、もっとありがたいのは、地球が滅びない限り続くこの聖なるガンジス河の夜明けでしょう。オレンジ、ピンク、ゴールド、シルバー、と川面が動くたびに色がうねりながら変わっていく。河の底の方からタボラの音が聞こえてきそうだ。

インドでは何が本当か分からない。多分、自分の見たものが本当だ。物乞いにはお金をあげる。サドゥ（修行僧）には差し上げる。観光用のサドゥが結果商売だったとしても、差し上げるつもりで差し上げたのならばそれは貴方の心の中では本物のサドゥだ。知らずに母国に帰ればいい。安いものを貨幣価値が分からず思わず高く買ってしまったとしたら、それは貴方の貨幣価値だ。騙されたのではなく、自分の貨幣価値に相手が合わせてくれたということだ。つまり、彼は貴方、あるいは貴方の国の貨幣価値を知っている。貴方の心も知っている。もし知らないホテルに連れて行かれてぼられたとしたら、それは貴方の心が弱かった、嫌と言えなかった。あるいは疲れていた。全てを帳消しにするのは感動だ。何か一つでも感動出来たら旅をした甲斐がある。それを教えてくれたのがインドだ。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/04/post_30.html</link>
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         <pubDate>Fri, 27 Apr 2007 20:48:07 +0900</pubDate>
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         <title>人は望む通りのことを出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。（ロマン・ロラン）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="f43.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f43.jpg" width="170" height="110" /> 　<img alt="f42.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f42.jpg" width="250" height="170" />

嵐で風が吹くたびに停電するマトゥーラの、アーグラホテルには二日間泊まった。次の目的地、タージマハールのあるアーグラーに列車で移動する為にオートリクシャをつかまえ、マトゥーラの駅に着くと嵐の夜に乗った行きのドライバーに会った。いきなり「ホテルから幾らだった？」と聞かれたので「６０ルピーだよ」と言うとリクシャワラー（ドライバー）はゲラゲラ笑い出した。あの夜、あんなに怖い顔をして値段交渉してきたくせに。多めだったのか、少なめだったのか分からないけど、こちらのしぶとさを笑ったんだかなんだか分からないけど、どっちでもいいけど、インドだな。こいつら、元気だな。と、また思った。芝居が跳ねた後の役者みたいだ。
そういえば、１０年以上も前にカルカッタで物乞いの襲撃に遭い、たまりかねて「今日はもうおしまい。あんたたちに付き合ってたらお金が無くなってカルカッタから出られなくなるよ。私はただの旅行者でガンジーでもマザーテレサでもない。欲しい人はまた明日」と、叫ぶと十数人の物乞いが一斉に笑い出し「OK、OK、じゃあ、また明日ね」と去っていったのを思い出す。何故か私の名前を知っていて、「じゃあね、クミ。明日は私が一番最初だよ」と言ってる奴もいた。彼らにとっては旅行者なんてジョークだ。旅行者達はあしらわれ放題だ。

列車でマトゥーラからアーグラに移動。屋上からタージマハールが眺められるという、ガイドブックお勧めのホテルは飛び込みという事もあり、運悪く満員。他でホテルを決めて荷物を置き、でも先ほどのホテルの屋上レストランにとりあえず行ってみた。観光地なのでビールも飲める。ビールをやりながらタージマハールを眺めて、という企画だった。インドは基本的に肉と酒は禁じられている。でも、観光は大事な資金源なので旅行者にはビールも出る。でも、ビールのせいじゃない。まだ飲んでいなかったし。建築物に打たれる・・・という事があるのか。それはいきなりだった。長い旅を終えてオアシスに辿り着いたキャラバンのように、初めての星に辿り着いたスターウォーズのルーク・スカイウォーカーのように、タージマハールの全景に打たれた。建物全体がかもし出す清潔感。真っ白に澄み渡っている。世界一美しいお墓という意味がよく分かる。混ざり物が何も無い、魂の姿だ。日が暮れていく。タージマハールが薄っすらピンクに染まっていく。
アグラーでも色々あったけど・・・・・（ラクダを連れた少年とか、名前はなんて言ったっけ。また会いたいな）、タージマハールのこの瞬間の印象に尽きるかな。先行こう。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/04/post_29.html</link>
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         <pubDate>Tue, 24 Apr 2007 18:56:40 +0900</pubDate>
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         <title>人は望む通りのことを出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。（ロマン・ロラン）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="f39.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f39.jpg" width="400" height="300" />

嵐は続く。マトゥーラには夜１０時ぐらいに着いた。駅の外に出ると土砂降りの雨で、またまた客引きのモーターリクシャが１００ルピーだ、６０ルピーだと群がってくる。それじゃ勿論６０ルピーで決めてリクシャに乗る前に、屋台のチャイを飲むとさすが田舎で５ルピーだった。熱々だったのに、寒いのであっという間にぬるくなる。フニャフニャのプラスティックで出来ているので、しっかり掴むと潰れてしまう。ヤムナー河沿いにあるというアーグラホテルを目指す。着くまでにまたまた、ここはどうだここはどうだと、しょっちゅうリクシャのドライバーが止まろうとする。こちらはあくまでアーグラホテルと繰り返す。「アズ・ユー・ライク（お好きなように）」ドライバーは言うのだが、またまた知らないホテルの前で止めようとする。道はガタガタするし、なんたってドアも窓も無いので膝にビチャビチャ雨が掛かる。すっかり染みとおって、腿が冷え切ってもまだ着かない。下水道の中を走っているようだ。やっと真っ暗い中をアーグラホテルに着いた。アーグラホテルと看板に書いてあるからアーグラホテルに違いない。それでも出てきたおじさんにアーグラーホテルか？と確かめた。まったく疲れてると何処に連れて行かれるか分かったものじゃない。最後の気力だ。ドライバーは遠かったからもっと代金をはずめと交渉用の怖い顔で迫ってきたが、「アズ・ユー・ライク」とぴったり６０ルピー渡してドボドボ漏れるシャワーのような雨の中をホテルに駆け込んだ。河に面した部屋はあるかというと、幸いに空いていた。

次の日の朝は時差と興奮で６時に目が覚めた。窓を開けるともうそこがヤムナー河で、天気が悪いのにも関わらず夜明けの景色は墨絵のように美しく、道に掛かる電線やガートの小さな塔、木、ありとあらゆる所に、鳥のように猿が群がっている。ここが美と快楽、豊潤な人生のシンボル、ハーリークリシュナが子供時代に遊んでいたというマトゥーラか。ここにやってきたのは日にちも無いことだし、デリーから近いし・・・とガイドブックにあったヤムーナ河の免許証サイズの写真がやけに平和そうに見えたから。舞台の後で神経が病んでいたんだよね。それで、なんでインドかっていうと、そういう時こそエネルギーが散乱しているところに行きたかった。私のガソリンタンクは空っぽ。もう何を詰めていいか分からなかった。これでリゾートなんか行ってココナッツジュースでも詰めろっていうのか。と言いながらインドで安らげるところを探してるなんて、ますます気が狂ってる。動き回っているのは、休むところを探すためというムジュン！。まさにそのカオスがインドとも言える。

マトゥーラから約15キロのヴリンダーバンという町に昼間でかける、嵐の中を・・・・。この小さな町には４０００ものヒンドゥー寺院が有るそうだ。お寺はいいので、蟻の巣を縦に割ったようなクネクネした路地を歩く、歩く。インドのお寺は、人が多くて疲れるんだよね。元気な時しか行けない。みんな列つくって回廊みたいなところをグルグル回って、日本の神社も同じだけど、どっかで止まってお賽銭置いたり、お坊さんに赤いビンディを付けられたり、それが元日の初詣みたいに滅茶苦茶混んでる。まだお寺に行く元気が無い。

物売りや町の人に呼び止められる度に”ハーリークリシュナ”、と返すと、”ハーリークリシュナ”と笑ってくれる。ここでは”コンニチワ”が”ハーリークリシュナ！”。時々、道で黄色とオレンジの僧衣を着た白人のお坊さん達を見かける。ああぁ”ハーリークリシュナ！”、来チャッタんだなぁ・・・ここまで。ユタ州から、アイオワから、リバープールから・・・。似合ってるとは言えないけど、まぁ他人のことだし。あっ、そういえばジョージ・ハリスンも時々来てたんだっけ？。あの人クリシュナ教だったよね。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/04/post_28.html</link>
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         <pubDate>Sat, 07 Apr 2007 18:56:10 +0900</pubDate>
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         <title>人は望む通りのことを出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。（ロマン・ロラン）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="f37.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f37.jpg" width="180" height="240" />  　　　　　 <img alt="f38.jpg" src="http://akiyoshikumiko.jp/blog/f38.jpg" width="180" height="240" />　　　
　　　　日系インド人　アキヨシ　　　　　　　　　シーク系インド人、サンダル屋のおじさん
　
お芝居が終わったあと、私はすっかり腑抜けになっている。フランソワーズを抱いたまま、一日中、部屋の中をウロウロ歩き回っている。フランソワーズも”パパになる作戦失敗”の影響か、一日中、私にしがみ付いてベタベタしている。インドから帰って一週間経った。それにしてもインド人たち・・・良い旅行も悪い旅行も貴方しだい、と、行く先々でおせっかいにも語りかけてくるインド人たち・・・貴方が幸せなら私も幸せ、と、いきなり高い値段をふっかけてくるインド人たち・・・その全てが、結果真実という事を知り尽くしているインド人たち・・・。

ニューデリーに着くなり、いきなり嵐だった。もう寒くて寒くて。さすが旅のベテランの私は飛行機が寒い場合と、パジャマを兼ねたスパッツを、ズボンの下に履き込み、こんな場合のLLビーンの安物のカシミアのセーターでは足りず、まず着いてすぐ土砂降りの雨の中を合羽を探しに行かなければならなかった。なんでも揃う安宿街メインバザールに行くのに、明かりも疎らなコンノート・プレイスのサークルをぐるぐる探してもタクシー１台見つからない。道で会った男に友達の車に乗れと言われ、ワンメーターで２５０ルピーふっかけれられた。普段なら３０ルピーのところです。高いというと、こんな雨の中、ハイリスクなんだから仕方が無いだろう、ノーチョイスと言い切る。確かにその通り。出た、インド。ああ！インドだ。メインバザールに行き、１２０ルピーの合羽を２０ルピー値切って１００ルピーで買う。雨が降ってなければきっと５０ルピーなんだ。時と状況によって全ての価値がフレキシブルに変わっていく。フレキシブル万歳。着いた日からこうだった。さっさとデリー脱出。クリシュナが育った（若いとき彼女と遊んでいたところ）マトゥーラにでも行ってみようと駅に切符を買いに行くと、入場券が無いと入れない、駅前のチケットオフィスでないと買えない。と、どいつもこいつも色んな事を言ってくる。”そんなわけないだろ、うるさい”「俺を信じないのか」と言うから、「信じないよ、友達でも無いのに」と言い返すと、何故か逆ギレして凄い形相で怒ってきた。負けるもんか、さっさと駅に行くぞ。今考えてみると、やっぱりこの友達でもないのにってのは傷ついたのかな、いくら詐欺師でも。痛いところを突いたのかもしれない。普通に無視してあげれば良かった。きっと紛争続くカシミールのあたりから来て苦労しているに違いない。パキスタン近くのラジャスタン地方から一攫千金でニューデリーに来たのかなぁ。インドでは人を騙すということは、モラルの問題ではなく、自分の存命を賭けた必要条件なんですよ。だから人の心に入り込むのはOKなんだけど、自分の痛いところを突かれるのは敏感なんだよね、いきなり。乞食なんかでも１ルピー渡すと「いらない、５ルピー寄こせ」とか言ってくるもんね。日本人を舐めてるのか。じゃあ上げないっていうと、怒りながら1ルピー受け取るんだよね。どうなってるの？だから私はごはんを食べるときに余ったチャパティーとか、ちゃんと持ち帰って現物支給で上げることにした。米屋の前を通ると、米を買ってそれを渡す。不思議な事にこのやり方は怒らないんだよね。こちらの手間を認めてくれてるのかしら、アリガトウ。
マトゥーラまでは３時間、のはずが実は5時間かかった。なぜなんだろう？窓の外に広がる景色は嵐、嵐、木、牛、レンガ造りのちょっといい家、瓦礫、ゴミ、ゴミ、牛、平原。たまに寝て、目を覚ましても同じ。だけど飽きない。ずっとずっとこの時間の中に居たい。]]></description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/04/post_27.html</link>
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         <pubDate>Mon, 02 Apr 2007 18:42:22 +0900</pubDate>
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         <title>人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ（リチャード・Ｗ・ニクソン）</title>
         <description>負けたわけでも、辞めたわけでもないけど、二ヶ月続いたマラソンが終わりました。東京、所沢、名古屋、浜松、大阪、九州。終わった終わった、ざまーみろ、と言いたい元気もありません。大体、誰にざまーみろなんだ、ワケ分かんないよ。四つの人生を毎日演じ続けた。努力で始め、精神分裂症になって終わった。舞台ではミラーボールみたいにあっちこっち神経を使い、舞台以外ではお吸い物に入ってる”麩”みたいになった。こんな今となってはニクソンが言ってる事ってホント説得力ないよね。よく、こんなことを自分に言い聞かせて大統領を続けようとしたよな。社会理念ってなかったのかよ。負けたら終わりだし、辞めなきゃいけないときもあるんだよ。百姓アメリカ人。なんの為に意地張ってるのかね、ニクソン。
舞台俳優達っていったい何なんだろうという疑問が今も残る。普段だったら「ちょっと喉が痛いな、風邪ひくのかな？鼻が詰まってる、なんが咳が出るんだよね」、という日常会話が、恐怖に変わる。「明日声が出なくなったらどうなるんだぁ！」ざーっとおでこが青くなる。やはり人間だから気温の差が激しい春でもあり、風邪もひくんだけど、役者達は一斉に花粉症だと言い張る。風邪は舞台にとって命取りだ。点滴もした。ビタミン剤も飲んだ。吸入もした。まだホッとしてない。そうだ、インドに行って考えよう。始めなければ終わらないという事を。
それじゃ、インドに行ってきます。私にとって三回目、懐かしい、愛想の無いインド人達に会ってきます。なんたってあの人たちは「０」を発見したんだから（だから威張ってるのかな？）。</description>
         <link>http://www.akiyoshikumiko.jp/blog/2007/03/post_26.html</link>
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         <pubDate>Thu, 08 Mar 2007 22:13:08 +0900</pubDate>
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